穴栗神社(式内 穴吹神社)
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概 要
社 号 穴栗神社
式内社 大和国添上郡 穴吹神社 近世は穴栗四社大明神
読み:古 アナフキ、現 あなぶき 現代 あなぐりじんじゃ
所在地 奈良市横井町1-677
旧地名 大和国添上郡
御祭神
四座(右から)
伊栗社 祭神:天太玉命(あめふとだまのみこと)
穴栗社 祭神:高皇産靈神(たかみむすびのみこと)
青榊(あおさかき)社 祭神:青和幣(あおにぎて)
辛榊(からさかき)社 祭神:白和幣(しろにぎて)
例祭日 例祭 10月9日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
添上郡(そえがみ):37座(大9座・小28座)
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
厳島社(市杵島姫命)・稲荷社(保食神)・御霊社(神武天皇)
一口メモ
奈良市街から桜井市まで南北に走る国道169号線東にこんもりとした鎮守の杜の丘が見える。
歴史・由緒等
この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に、「春日穴咋邑」と出ているところです。神社の名を穴吹・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(分霊)されたと書かれています。境内にある元禄四(一六九一)年建立の社 号標石にも「穴栗四社大明神』とあり、穴栗は古くからの呼び名です。
現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。
「萬葉集」に
妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
-高安 王-(巻一七-三九五二)
と詠まれている「伊久里の杜』は、井栗の神を祀っていた、この地です。
歌は、天平十八(七四六)年八月七日に、越中守大伴家持の館での宴の場で、玄勝というお坊さんが伝誦したものです。作者の高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたり、奈良の都の人です。
「恋しい人の家に通っていく伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。
境内の萬葉歌碑は、平成十年五月に、平城萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。「伊久里の杜」萬葉歌碑建立実行委員会
-境内案内板-
元、横井村にあったが、寛文年中(1661年~1673年)古市村の領主 藤堂和泉守によって、社殿を現在地に移した。
境内・社叢
鳥居 神門
手水と境内社
境内案内板
拝殿 拝殿・本殿
本殿 境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
奈良交通バス横井町下車 東へ約300m
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